「劇団Camelot」は、世界の伝説や神話、様々な歴史などを、紹介する猫のキャラクターです。


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OK牧場の決闘

ドク・ホリディ(肺結核になり余命数ヶ月と宣言された早撃ちのガンマン)

ドク・ホリディ 700x1000 YatsurnoWestern



1851年8月14日、ドク・ホリディ、本名ジョン・ヘンリー・ホリディはジョージア州グリフィンに生まれた。


ホリディはペンシルベニア歯科大学で歯科医の資格を取得、アトランタで医院を開業するが、まもなく肺結核となり、病気を悪化させないため、より乾燥した西部への移住を決意する。

ペンシルベニア歯科大学

テキサス州ダラスへ行くと、そこで手っ取り早い収入源のギャンブルに目覚めた。

だが、1874年、不法賭博で起訴され、翌年には酒場でバーテンダーと派手に打ち合い逮捕される。

これは無罪となったが、不法賭博では有罪となったためテキサスから逃げ出し、南部諸州を流れ歩き、多くの殺人を犯すことになった。

このホリディの行動は、かっとなりやすい性格と、一度は死を宣告された経歴が原因と言われている。

20歳のドグ・ホリデー

1877年、ホリディはフォート・グリフィンで保安官ワイアット・アープに出会い、二人は無法者のギャンブラーと保安官という組み合わにも関わらず、妙に気が合った。

翌年には、ダッジシティでアープが、荒くれ者のカウボーイ達に取り囲まれてあわやという時、ホリディが機転を利かしてアープを助けるということもあり、以来、二人の友情はホリディが死ぬまで続く。

ワイアット・アープ
   ワイアット・アープ

また、このころホリディは生涯の愛人となるメリー・キャサリン・ホロニーと出会う。
メリーは「でかっ鼻のケイト」と呼ばれ、残っている写真を見るとお世辞にも美人とは言えないが、ホリディが死ぬまで愛人関係は続いた。

しかし、親友や愛人と出会ったにもかかわらず、ホリディの無頼な生活は変わらず続く。

メリー・キャサリン・ホロニー
   メリー・キャサリン・ホロニー

1979年、ニューメキシコ州ラスベガスの酒場で、退役軍人のマイク・ゴードンを射殺し、目撃者によれば、初めにゴードンが拳銃を抜いたという。
結果、裁判では無罪となり、ホリディは「早撃ち」としてかえって尊敬を得るようになる。

ドク・ホリディ

1981年、ホリディはアープが保安官をしているアリゾナ州トゥムストーンに出向いた。
アープ一家と地元の有力者クラントン一派との対立が激しくなったため、アープが助っ人としてホリディを呼んだためである。

アリゾナ州トゥームストーン

同年10月26日、ホリディを含むアープ一家4人と、クラントン一派6人が、トゥームストンの町外れの馬囲い場(コラル)で、激しい銃撃戦を繰り広げた。
これが世に有名な「ОKコラルの決闘」である。
結果はアープ一家が圧勝し、ホリディも軽傷を負ったが無事だった。

OKコラルの決闘

「ОKコラルの決闘」から6年後の1887年11月8日、ドク・ホリディは、コロラド州グレンウッドスプリングスで肺結核により36歳で死亡する。

コロラド州グレンウッドスプリングス

医学博士の称号を持つ異色のギャンブラー、なによりも、若くして肺結核になり余命数ヶ月と宣言された早撃ちのガンマンというキャラクターは、新撰組の沖田総司のように知る者の関心を引き寄せ、多くの映画作品で存在感を持って登場した。


ジョン・フォー監督「荒野の決闘」(1946年、ヴィクター・マチュア出演)

ジョン・スタージェス監督「ОK牧場の決闘」(1957年、カーク・ダグラス出演)

スタージェス監督の「墓石と決闘」(1967年、ジェイソン・ロバーズ出演)

フランク・ベイリー監督「ドク・ホリディ」(1971年、ステイシー・キーチ出演)

ジョージ・P・コスマ監督「トゥームストーン」(1993年、ヴァル・キルマー出演)

ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」(1994年、デニス・クエイド出演)
荒野の決闘
などなど。

ワイアット・アープ(波乱万丈の人生を送った西部開拓史上最も有名な保安官)

ワイアット・アープ 700x1000 YatsurnoWestern



1848年3月19日、ワイアット・アープはイリノイ州に生まれ、16歳の時に一家はカリフォルニア州に移住した。

ワイアット・アープの生まれた町マンモス

少年時代を過ごしたアイオア州の家

18歳の頃には、バッファロー狩りや駅馬車の護衛で生計を立て、19歳の時にカンザス州エルズワースで初めて保安官となり、ガンマンとして腕を上げ、乱暴者を取り押さえて名をあげていく。

1870年にウリラ・サザーランドと結婚するが死別。

1875年にはカンザス州ウィチタの保安官事務所で働き、1878年にはドッジシティの保安官事務所に勤務して、町の平和に尽くした。

ワイアット・アープ

ワイアットの保安官ぶりは暴力的ではあったが、ほとんど拳銃を抜かずに、相手を威圧し去ったという。

この頃に、有名なガンマンでギャンブラーだったドク・ホリディと知り合い、友情を抱き合うようになる。

ドク・ホリディ
   ドク・ホリディ

1879年9月、ワイアットはやり方の荒っぽさからドッジシティの保安官を解雇され、アリゾナのトゥームストーンに移住した。

ここでワイアットは農業の傍ら、賭博場の胴元、売春宿の経営者にもなる。

アリゾナ州トゥームストーン

ところが3ヶ月後、兄ヴァージルがトゥームストーンの保安官に就任したため、ワイアットも弟モーガンと共に保安官補佐となって兄ヴァージルを助けた。

こうしてトゥームストーンでのアープ一家の力が増すに従って、それまで町を牛耳っていたカウボーイズと呼ばれるクラントン一派との対立が険しくなっていく。

クラントン一家を引いたアイク
   アイク・クラントン

そして、1881年10月26日、ドク・ホリディを加えたアープ一家4人と、クラントン一派のカウボーイズ6人が、OKコラルで撃ち合いとなった。

アープ一家は3人が負傷するがワイアットは無傷、クラントン一派は3名が射殺される。

西部史上名高い決闘で死んだ3人

この事件後も両派の争いは続き、アープ一家は殺人罪で起訴されたが無罪、怒ったクラントン一派はワイアットの兄弟ヴァージルとモーガンを闇討ちにし、兄ヴァージルは重傷、弟モーガンは命を奪われた。

決闘記念プレート

ワイアットは、兄弟の仇討でクラントン一派のカーリー・ビルなど3人を殺害すると、ドク・ホリディと共にコロラドに逃走する。

カーリー・ビル
   カーリー・ビル

その後、ワイアットに実業家に転向し、いろいろな事業に手を染め、アラスカの鉱山経営をやって、1929年1月13日、ロサンゼルスで平和の中81歳で死んだ。

ロサンゼルス

西部史上最も名高い銃撃事件「OKコラルの決闘」をはじめ数々の戦いをくぐり抜けた西部開拓史上最も有名な保安官であり、犯罪者、ギャンブラー、売春宿の経営者、金鉱探し、実業家と、一筋縄では行かない様々な顔を持ち、西部開拓時代の伝説的な生き証人として親交を持った映画監督ジョン・フォードの西部劇製作に影響を与えたワイアット・アープは、多くの映画作品で登場し、アメリカの俳優にとってキャリアにワイアット・アープ役があることは大きなステータスとなっている。


ジョン・フォード監督「荒野の決闘」(1946年、出演ヘンリー・フォンダ)

ジョン・フォード監督「シャイアン」(1946年、出演ジェームス・スチュアート)

ジョン・スタージェス監督「OK牧場の決闘」(1957年、出演カーク・ダグラス)

ジョン・スタージェス監督「墓石と決闘」(1967年、出演ジェームズ・ガーナー)

ジョージ・P・コスマ監督「トゥームストーン」(1993年、出演カート・ラッセル)

ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」(1994年、出演ケヴィン・コスナー)
OK牧場の決闘
などなど。



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