「劇団Camelot」は、世界の伝説や神話、様々な歴史などを、紹介する猫のキャラクターです。


詳しくはカテゴリー「劇団Camelotとは? (総合案内)」をご覧ください。

新撰組

多キャラ箱(2016年12月12日~2016年12月18日)

(集計2016年12月12日~2016年12月18日)
(集計2016年12月12日~2016年12月18日)

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および「劇団Camelot」が3週連続で1位



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多キャラ箱(2016年12月5日~2016年12月11日)

(集計2016年12月5日~2016年12月11日)
(集計2016年12月5日~2016年12月11日)


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および「CatBoxer アーサー」が3位



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多キャラ箱(2016年11月28日~2016年12月4日)

(集計2016年11月28日~2016年12月4日)
(集計2016年11月28日~2016年12月4日)

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多キャラ箱(2016年11月14日~2016年11月20日)

(集計2016年11月14日~2016年11月20日)
(集計2016年11月14日~2016年11月20日)

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アーサー王・長袖Tシャツ
アーサー王 (劇団Camelot) 長袖Tシャツ



グィネヴィア・トートバッグ
王妃グィネヴィア (劇団Camelot) トートバッグ



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多キャラ箱(2016年11月7日~2016年11月13日)

(集計2016年11月7日~2016年11月13日)A
(集計2016年11月7日~2016年11月13日)


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および「 劇団Camelot」が6位

(集計2016年11月7日~2016年11月13日)B
 

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CatBoxerアーサーTシャツ(アッシュ)
CatBoxer アーサー(劇団Camelot) Tシャツ



トートバッグCBアーサー
劇団Camelot トートバッグ



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多キャラ箱(2016年10月31日~2016年11月6日)

2016年10月31日~2016年11月6日
(集計2016年10月31日~2016年11月6日)
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アーサー王Tシャツ
 アーサー王 (劇団Camelot) Tシャツ

アーサー王トートバッグ
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劇団Camelot

「劇団Camelot」とは、世界の歴史や伝説の案内人となる猫のキャラクター達です。



「劇団Camelot」の団員別、案内を務めた歴史・伝説の人物一覧。


   アーサー
主人公格の役を務めることが多い団長的な存在

正義感が強く真面目で勇敢で一見欠点がなさそうだが、決断力が鈍く人を信用し過ぎる面がある。
アーサー王280x400 OlrEnglish
「アーサー王伝説」            アーサー王 
「新撰組」                近藤 勇
「アレクサンドロス大王」         アレクサンドロス大王
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」  ユリウス・カエサル
「項羽と劉邦」              劉邦
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ジェシー・ジェイムス
「K-1 歴代グランプリ王者」      ピーター・アーツ

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    アテルイ
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    徳川 家康
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    北条 早雲
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    聖徳太子
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    吉田 松陰
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    坂本 龍馬
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    尚寧王



   ランスロット
NO.2格の役や主人公のライバル役を務めることが多い

勇敢で礼儀正しく哲学的で、内に秘めた情熱が顔を出すこともある。
280x400 アンティゴノス ArtNouveauCap
「アーサー王伝説」            ランスロット
「新撰組」                土方 歳三
「アレクサンドロス大王」         アンティゴノス
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」  グナエウス・ポンペイウス
「項羽と劉邦」              韓信
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ワイアット・アープ
「K-1 歴代グランプリ王者」      アーネスト・ホースト

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    津軽 為信
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    新田 義貞
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    佐々 成政
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    豊臣 秀吉
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    尼子 経久
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    三好 長慶
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    大村 純忠



   ガウェイン
篤い信念がある役を務めることが多い

基本的な能力は高いがドジな面がある。約束は決して破らない男気の持ち主。
毛利元就280x400
「アーサー王伝説」            ガウェイン
「新撰組」                永倉 新八
「アレクサンドロス大王」         ペルディッカス
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」  ルキウス・コルネリウス・スッラ
「項羽と劉邦」              蕭何
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ドク・ホリディ
「K-1 歴代グランプリ王者」      アンディ・フグ

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    シャクシャイン
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    源 頼朝
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    朝倉 義景
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    大石内蔵助
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    毛利 元就
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    水野 忠邦



   ガラハッド
ハッピーエンドにならない実力者といった役を務めることが多い

真面目で優しく神秘性がある悟り系で、なんでも器用にこなす。
アウグストゥス280x400ArtNouveauCap
「アーサー王伝説」             ガラハッド
「新撰組」               沖田 総司
「アレクサンドロス大王」          プトレマイオス
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」  アウグストゥス(オクタウィアヌス)
「項羽と劉邦」                 張良
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」コール・ヤンガー
「K-1 歴代グランプリ王者」         マーク・ハント

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    保科 正之
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    千葉 常胤
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    前田 利家
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    石田 三成
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    宮本 武蔵
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」    大友 宗麟



   パーシヴァル
野性味のある役柄を務めることが多い

酒飲みで寝坊助で天真爛漫な愛され系キャラ。
熊谷直実280x400
「アーサー王伝説」             パーシヴァル
「新撰組」                 山南 敬助
「アレクサンドロス大王」          セレウコス
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」   ウェルキンゲトリクス
「項羽と劉邦」               樊カイ(はんかい)
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ワイルド・ビル・ヒコック
「K-1 歴代グランプリ王者」       レミー・ボンヤスキー

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     佐竹 義宣
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     熊谷 直実
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     木曾 義仲
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     藤堂 高虎
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     名和 長年
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     加藤 清正



   トリスタン
一匹狼的な役を務めることが多い

自信過剰な面があり、放浪者のような冒険心が高いが、寂しがり屋な面もある。
ビリー・ザ・キッド280x400YatsurnoWestern
「アーサー王伝説」             トリスタン
「新撰組」                 斎藤 一
「アレクサンドロス大王」          ヘファイスティオン
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」  マルクス・リキニウス・クラッスス
「項羽と劉邦」               曹参
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ビリー・ザ・キッド
「K-1 歴代グランプリ王者」       ミルコ・クロコップ

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     上杉 鷹山
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     宇都宮 公綱
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     上杉 謙信
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     徳川 吉宗
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     平賀 源内
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     黒田 官兵衛



   モルドレッド
ラスボス的な役を務めることが多い

疑い深く頭の回転が速く合理的だが、本当は承認願望が強い。
項羽280x400
「アーサー王伝説」             モルドレッド
「新撰組」                 芹沢 鴨
「アレクサンドロス大王」          アンティパトロス
「ユリウス・カエサルとローマ帝国誕生」   マルクス・アントニウス
「項羽と劉邦」               項羽
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ジョン・ウェズリー・ハーディン
「K-1 歴代グランプリ王者」         アリスター・オーフレイム

「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     伊達 正宗
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     平 将門
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     斎藤 道三
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     足利 尊氏
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     藤原 純友
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」     伊東 義祐



     ユーサー
圧倒的な実力者といった役を務めることが多い

控えめながらも勇敢で、影の実力者といったタイプ。
平清盛280x400
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」 武田 信玄
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」 平 清盛

「K-1 歴代グランプリ王者」     ブランコ・シカティック



     ペリノア
強いカリスマ性を持った役を務めることが多い

豪胆でダイナミックな兄貴分タイプ。
織田信長280x400
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」 織田 信長
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」 藤原 道長
「47都道府県 歴史的偉人めぐり」 西郷 隆盛

「K-1 歴代グランプリ王者」    セーム・シュルト



   グィネヴィア
ヒロイン役を務めることが多い、女性団員のエース格

ワガママな言動が目立つが、母親に逆らっては枕で涙する少女のような根の優しさがある。
王妃グィネヴィア 280x400 akaFrivolity
「アーサー王伝説」        王妃グィネヴィア
「アレクサンドロス大王」     王妃スタテイラ2世
「絶世の美女シリーズ」      クレオパトラ7世



   ラグネル
天国と地獄、栄光と挫折など浮き沈みのある役柄が得意

気が強く芯があり融通の利かないところがあるが、本当は傷つきやすい。
ラグネル 280x400 akaFrivolity
「アーサー王伝説」       ラグネル
「絶世の美女シリーズ」     デュ・バリー夫人



   ディンドラン
可憐で潔い最期を迎える役柄が得意

愛情深く人に親切で物知りだが、控えめで目立たないタイプ。
ディンドラン 280x400 akaFrivolity
「アーサー王伝説」             ディンドラン
「絶世の美女シリーズ」           マリー・アントワネット
「西部開拓時代の有名人(影のアメリカ史)」ベル・スター
 


   モルゴース
少し冷酷さのある悪女的な役柄が得意

二面性が強く、なにを考えているのか分かりにくいところがあるタイプ。
モルゴース 280x400 akaFrivolity
「アーサー王伝説」       モルゴース
「絶世の美女シリーズ」     マリア・テレジア
「項羽と劉邦」         虞美人



   エレイン
運命に翻弄される困難な役柄が得意

悲観的でマイナス思考だが、自分の気持ちに正直で行動力がある。
エレイン 280x400  akaFrivolity
「アーサー王伝説」       エレイン
「絶世の美女シリーズ」     楊貴妃


 
   クンネヴァール
助演気質でいかにも脇役といった役柄が得意

あまり賢くない印象を与えるが、ポジティブで人を見極める力も優れている。
クンネヴァール 280x400 akaFrivolity
「アーサー王伝説」       クンネヴァール
「絶世の美女シリーズ」     ヒュッレム・ハセキ・スルタン



   イゾルデ
母性があり意思の強い役や悲劇的な最期を迎える役が得意

行動力があり自己主張も意思も強く、包容力がある姉御肌。
イゾルデ 280x400  akaFrivolity
「アーサー王伝説」       イゾルデ
「絶世の美女シリーズ」     ベアトリーチェ・チェンチ






       ヒミコ
漫画のみに登場するアーサーとグィネヴィアの間にできた女の子
猫様
昔々、貧乏な母子3人家族の家の近くで妊娠した野良猫が倒れていました。

母が野良猫を病院に連れていくと、緊急手術となり、手術代は20万円近くでした。

一家はとても貧乏で、度々、電気が止まったりする家庭だったので、経済的なダメージは大きいものでした。

しかし、母は「かわいそうじゃない。」と笑顔で言いました。
息子と娘は「母さんには、いつか猫の恩返しがあるね。」と笑顔で言いました。

しかし、どうやら猫は忘れっぽいようで、その後、母に分かりやすく良い出来事は起こりませんでした。
母は忘れっぽい猫が大好きでした。



ピーチ
ClubT  アーサー王 「Camelot Castle」
(Tシャツ 税抜12200円,長袖Tシャツ,ジップパーカー,スマホケース各種 など)



コーラルオレンジT
ClubT  Cat Boxer アーサー「Camelot Sports」 
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



ファインフィット
ClubT  ヒミコ(猫様) 「劇団Camelot」
(ファインフィットロングスリーブ 税抜3450円,Tシャツ,スマホケース各種 など)




三番組組長 斎藤 一

斎藤 一700x1000



斎藤は、山口祐助とますの子として生まれ、父の山口祐助は播磨国明石藩の足軽であったとされているが、戊辰戦争後の斎藤の会津藩との関わりの深さから疑問視もされている。

 

 

 

斎藤は19歳の時に、江戸小石川関口で旗本と口論になり、相手を斬ってしまうと、父と兄に旅支度をさせられ、すぐに京都へと旅立った。

 

 

京都に着くと、父の友人が開いていた聖徳太子流剣術道場主に身をかくす。

 



 

一方、将軍・徳川家茂が京都に行った際の警護役として募集され浪士隊が江戸から京都にやって来ると、浪士隊は壬生浪士組に名を変え、同日、京都で新たに隊士を募集すると、斎藤を含めた11人が入隊し、京都守護職である会津藩(伝統的に幕府と縁が深い)の藩主である松平容保の預かりとなった。

 

 

斎藤と近藤や土方との接点には諸説あるが、この入隊時が出会いというのが有力視されている。



 

新選組幹部の選出にあたり、斎藤は20歳にして副長助勤に抜擢された。

 

後の組織再編成の際には三番隊組長となり、沖田や永倉らとともに新選組の撃剣師範を務める。

 

 

 

永倉は弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語ったといわれ、剣の腕はあの沖田に匹敵する強さであった。

 

壬生村2
 

斎藤は、土方からの信頼が特に厚く、新撰組内部での粛清役や暗殺役といったダークな仕事を数多く務める。

 

また、その土方からの信頼の厚さゆえに、スパイとして組織外に派遣されることもあった。

 

 

斎藤が謎に包まれている部分が多い人物でもあるのは、記録に残せない影の仕事に関わる機会が多かったたである。

 

 

 

 

新撰組の名を天下に轟かせた池田屋事件の後、藤堂平助の仲介で才能豊かな伊東甲子太郎が新撰組に加わるが、近藤と伊東が時局を論じ合った際に、徳川幕府あっての尊王攘夷という考えを持つ近藤に対して、伊東は孝明天皇の衛士になることを主張したため、近藤は伊東らの分離を警戒した。

 

 

近藤の予想通り、伊東は新撰組から分離した御陵衛士を結成すると、斎藤は、土方の指示で、この伊東の御陵衛士に潜入スパイとして参加する。

 

 

新選組が伊東ら御陵衛士を暗殺した油小路事件は、斎藤がスパイとしてもたらした情報に基づいて計画・決行がなされた。

 

 

 

 
 

1867119日に将軍・徳川慶喜は大政奉還を行い、朝廷から徳川幕府に貸し出されていた政治権力を明治天皇に返上し、186813日には岩倉具視らによって王政復古の号令が発して徳川慶喜の身分の剥奪と徳川家の領地全ての没収を決定し、明治新政府が樹立する。

 

 

こうして徳川幕府は政治の実権を完全に失うことになった。

 

小枝橋の戦い(鳥羽・伏見)
 

どう好意的に解釈しようとしても暴虐で挑発的な薩摩藩に対して、徳川慶喜の周囲では「討薩」を望む声が高まり、慶喜は討薩を決定するが、1868(明治元年)127日、旧幕府軍と新政府軍における「鳥羽・伏見の戦い」で旧幕府軍が敗れると、新選組も幕府軍艦で江戸へと戻る。

 

 

 

 

江戸に戻った新撰組は、旧幕府から新政府軍の甲府進軍を阻止する任務を与えられ、甲陽鎮撫隊と名を改めて、甲州街道から甲府城を目指して進軍するが、その途中、甲州勝沼の戦いにおいて新政府軍に敗退した。

 

 

 

斎藤はいずれの戦いでも最前線で戦うが、銃撃戦がメインの戦闘では大きな活躍を見せることが出来ずに終わる。

 

 

 

近藤が流山で新政府軍に投降して板橋刑場で斬首されたあと、斎藤は、土方歳三らと一旦別れ、隊士の一部を率いて会津へ向う。

 

母成峠の戦い
 

斎藤ら新選組は、会津藩の指揮下に入り、白河口の戦いや母成峠の戦いにも参加するが、劣勢に次ぐ劣勢により若松城下に退却する。


 

この時、大鳥圭介らと共に宇都宮城の戦いに参加するも敗走してきた土方と再開した。

 

 

その後、土方は庄内から北へ北へと転戦し北海道まで行くが、斎藤は会津に残留し、会津藩士とともに城外で新政府軍への抵抗を続ける。

 

会津藩
 

会津藩が新政府軍に降伏したあとも、斎藤は頑なに戦い続けるが、新撰組の雇い主であった松平容保の説得に応じて投降した。

 

 

新撰組時代の斎藤が、土方から厚い信頼をおかれていたのは、こうした強情で信念が固いながらもリーダーには従順な一面があったことによると推測が出来る。

 

 

捕虜となった斎藤は、旧会津藩領の塩川や越後高田で謹慎生活を送った。

 

 

 

 

謹慎生活を終えた斎藤は五戸に移住し、元会津藩では超がつく名家の篠田家のやそと結婚するが、この結婚生活は3年ほどで終わってしまう。

 

その原因については、不明であり、単に離縁だったのか死別だったのかも分かっていない。

 

 

 

斎藤にとって二度目の結婚の相手も元会津藩の大目付であった高木小十郎の娘である時尾であった。

 

この結婚には、元会津藩主・松平容保が上仲人、元会津藩家老の佐川官兵衛と山川浩、倉沢平治右衛門が下仲人を務める。

 

斎藤と時尾は三人の男の子に恵まれた。

 

斎藤 一1
 

こうした斎藤に対する元会津藩の扱いから、冒頭の出自の定説に疑問視の声が多くなっており、斎藤は実は歴とした会津藩出身の武士だったのではないかとも言われている。

 

 

 

 

明治7(1874)7月、東京に移住し、警視庁に採用され、内務省警視局で警部補に昇任し、西南戦争に参加した。

 

大砲2門を奪取するなどの大活躍をし、その様子は東京日日新聞に報道され、斎藤は政府から勲七等青色桐葉章と賞金100円を授与される。

 

 

その後、警視庁が再設置され、斎藤は麻布警察署詰外勤警部として勤務し、明治25(1892)に退職した。


 

警視庁退職時に、東京高等師範学校校長・高嶺秀夫(元会津藩士)らの推挙で、東京高等師範学校附属東京教育博物館(現在の国立科学博物館)の守衛長となる。

 

警視庁
 

明治32(1899)には東京女子高等師範学校に庶務掛兼会計掛として勤務し、明治42(1909)に退職した。

 

 

 

そして、大正4(1915)928日、71歳で胃潰瘍のため東京府東京市本郷区真砂町で死去。永倉新八とほぼ同時期に死去したことになる。

 

 

 

 

新撰組ではスパイとして働く機会が多かったことから謎の多い人物であったが、長生きしたため、後年はいくらかの証言が残っており、刀での戦闘経験について「どうもこの真剣での斬り合いというものは、敵がこう斬りこんで来たら、それをこう払っておいて、そのすきにこう斬りこんで行くなどという事は出来るものではなく、夢中になって斬り合うのです。」という証言を残した。

 

 

日本史上最強という解釈もできる沖田総司に匹敵する強さであった斎藤の証言だけに、これが剣術のシンプルにして極意なのかもしれない。

 

 

 

また、子ども達には「武士たる者は、玄関を出るときは頭から先に出るな、足から出よ、不意に斬りつけられた場合、頭をやられれば致命傷だが、足ならば倒れながらも相手を下から突き上げて殺すことができる。」と説教するのを常としていた。

 

 

まるで、老いてなお、時代が変わってなお、ただ一人新撰組であり続けたようである

二番組組長 永倉 新八

永倉 新八700x1000



永倉は、松前藩江戸定府取次役・長倉勘次の次男として、松前藩上屋敷(現在の東京都台東区小島2丁目)にて生まれる。

 

 

8歳頃に岡田利章の神道無念流剣術道場である撃剣館に入門し、18歳で本目録となった永倉は、剣術好きのあまり松前藩を脱藩し剣術修行の日々を送った。

 

 

その流れで近藤勇の天然理心流の道場である試衛館に現れると、近藤と意気投合し、試衛館に居着くようになる。

 

 


 

1863年、将軍・徳川家茂が京都に行った際の警護の浪士が募集されると、永倉は近藤についていく形で、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助、原田左之助、藤堂平助という試衛館の8人で京都へ赴く。

 

 

 

京都に辿り着いた浪士隊は、壬生浪士組から新撰組に名を変え、徐々にその存在感を増していくが、隊内は近藤派と芹沢派による駆け引きが色濃くなっていった。

 

壬生村2
 
の後、芹沢は暗殺され、新撰組は近藤主導の隊となるが、永倉は芹沢暗殺の相談を土方などから受けていなかった可能性がある。

 

 

芹沢暗殺の実行者は4名で、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田左之助という試衛館メンバーであったという説が有力であるが、残る永倉以外の試衛館メンバーは、行動を知らないわけがないリーダーの近藤勇、試衛館では近藤よりも兄弟子になる最年長の井上源三郎、行動の賛否に大きく意見を持っていなそうな藤堂平助であった。

 

 

仮に土方らが永倉には相談していなかったとして、考えられる理由は、義と徳を重んじ頑固者である永倉に反対されると話がややこしくなると思われたことや、永倉と芹沢が神道無念流の同門でそれなりに仲が良かったことが考えられる。

 

 


 

永倉の意はとにかく、芹沢がいなくなり近藤勇主導の組織となった新撰組は、その勢いを増していき、永倉は二番組組長や撃剣師範を務めるなど活躍することになっていく。

 

池田屋跡
 

新撰組の名を天下に轟かせた池田屋事件の際には、近藤隊4名の一人として20名以上の敵に突入し、沖田が持病発生で倒れ、藤堂平助が負傷して離脱する中で、永倉は左手親指に深い傷を負いながらも防具がボロボロになり刀が折れるまで戦った。

 

 

 

新撰組が出世して、身分の高くなった近藤の振舞いに変化が出始めると、頑固者で義と徳を重んじる永倉は、度々、近藤や土方と衝突するようになっていく。

 

 

しかしながら、沖田の病状が悪化すると、沖田の分まで前線部隊として働くなど、意見は言うものの仕事はしっかりな男であった。

 

 

 

 

 

1867119日に将軍・徳川慶喜は大政奉還を行い、朝廷から徳川幕府に貸し出されていた政治権力を明治天皇に返上し、186813日には岩倉具視らによって王政復古の号令が発して徳川慶喜の身分の剥奪と徳川家の領地全ての没収を決定し、明治新政府が樹立する。

 

 

こうして徳川幕府は政治の実権を完全に失うことになった。

 

 

どう好意的に解釈しようとしても暴虐で挑発的な薩摩藩に対して、徳川慶喜の周囲では「討薩」を望む声が高まり、慶喜は討薩を決定するが、1868(明治元年)127日、旧幕府軍と新政府軍における「鳥羽・伏見の戦い」で旧幕府軍が敗れると、新選組も幕府軍艦で江戸へと戻る。

 

 

この「鳥羽・伏見の戦い」の際には、負傷していた近藤の代わりに、土方と共に新選組を指揮して戦った。


永倉新八1
 

江戸に戻った新撰組は、旧幕府から新政府軍の甲府進軍を阻止する任務を与えられ、甲陽鎮撫隊と名を改めて、甲州街道から甲府城を目指して進軍するが、その途中、甲州勝沼の戦いにおいて新政府軍に敗退する。

 

 

この直後、近藤や土方と今後の展望や進路で意見が分かれ、原田左之助らと共に隊を離れた。

 

 

 


 

近藤らと分かれると、永倉は靖兵隊(靖共隊)を結成し、北関東で新政府軍と抗戦するが戦局は不利で、米沢藩にかくまわれることになる。

 

 

米沢藩滞留中に、会津藩の降伏を知ると、永倉はもはや新政府軍に抗う術なしとみて江戸へ帰還した。

 

 

 

 

その後、永倉の大叔母である長倉勘子(永倉ももとは長倉姓)12代松前藩主・資廣の側室であった縁もあり、松前藩への帰参が認められるという寛大な処置を受ける。


 

永倉新八29歳、蝦夷地はまだ戦火のなかにあったが、永倉にとっての新選組に終止符が打たれた。

 

北海道
 

永倉は、藩医・杉村介庵の娘きねと結婚して杉村家の養子に入ると、北海道に渡るが、その後42年間で北海道と東京で11回転居する。


そして、そのほとんどを剣術の師範として身を立てた。

 

 


 

晩年は映画を好み、孫を連れてよく映画館に通い「近藤、土方は若くして死んでしまったが、自分は命永らえたおかげで、このような文明の不思議を見ることができた。」と生き延びた事を喜んだという。
 

 

永倉新八2

それでも、やはり、あの新撰組の幹部であった男の迫力はいつまでも健在だったようで、ある時、映画館の出口で地元のヤクザにからまれるが、永倉は眼光の鋭さでヤクザを怯えさせて退散させた

一番組組長 沖田 総司

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天使の心を持った殺人鬼、沖田総司は、陸奥国白河藩藩士・沖田勝次郎とミキの長男として、江戸の白河藩屋敷(東京都港区西麻布)で生まれた。

 

2人の姉がおり、両親とは3歳前後で死別したといわれている。

 

 

 

9歳頃、近藤や土方のいる天然理心流の試衛館の弟子となり、若くというより幼くして試衛館塾頭を務めていた。

 

 

 

日本史上最も人を斬った新撰組という組織において、最も剣の腕がたったと言われる沖田は、日本史上最強の男であったという解釈も出来なくはない。

 

 

そんな沖田の強さのルーツは天然理心流にこそあった。

 

試衛館
 

 

幕末というのは、実戦と剣術の乖離が大きくなって久しいと言われていた時代である。

 

 

武士が刀で斬り合うという機会が大きく現象する一方で、武士のたしなみとして剣術の修練は逆に熱心にされていた。

 
 

であるが、しかし、修練に使われた竹刀は刀より圧倒的に軽く、この軽い竹刀を巧みにコントロールする技術が発達していく。

 
 

幕末の頃はすでに、軽い竹刀を操作しやすいように、現在の剣道と同じように、両手の間隔を開けて竹刀を握ることが一般化している。

 
 

日頃こういった練習をしていたので、この時代の武士はいざ実戦の場で刀を手にしても、そのように扱っていた。

 

 
 

ところが、実戦に通用する剣術を第一に考えていた天然理心流では、野球のバットを握るように両手の間隔を開けず、竹刀よりもはるかに重い刀を力強く扱えるような修練がなされていた可能性があり、その根拠として、現存する土方歳三が愛用した和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)が、バットのように握っていた痕跡が残っている。

 

  

実際に、江戸時代初期以前、竹刀が作られるようになる前は、刀をバットのように握るのが一般的であった。

 

刀の握り方
 

このように、沖田の強さの根拠は、新撰組隊士やその敵達の証言だけでなく、具体的な技術的背景からも検証することが出来る。

 

 

 

永倉新八は後年「練習では、土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた。」という証言を残す。

 

 

 

 

しかし、いくら強くても、親はなく男兄弟のいない、まだまだ幼さの残る沖田にとって、試衛館で共に汗を流す近藤や土方は本当の兄以上の存在であった。

 
 

 

 

 

1863年、将軍・徳川家茂が京都に行った際の警護の浪士が募集されると、沖田は近藤や土方についていく形で、井上源三郎、山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助という試衛館の8人で京都へ赴く。

 

 

おそらく、この時、沖田に政治的な志はほとんどなく、近藤や土方と遠足に行くような気分であった。

 

 

 

京都に辿り着いた浪士隊は、壬生浪士組から新撰組に名を変え、徐々にその存在感を増していき、やがて新撰組は近藤勇主導の組織になるが、沖田は新撰組が近藤主導の隊に変わるための数々の内部抗争において暗殺実行者として働く。

 


その決定打となった芹沢鴨の暗殺にも実行者として加わった。

 

沖田総司2

 

新撰組の名を天下に轟かせた池田屋事件の際には、近藤隊4名の一人として20名以上の敵に突入するが、戦闘中に持病が発症し、吐血しながら倒れ込み、戦線離脱する。

 

 

この頃から沖田は、兄貴分と慕う近藤や土方との時間がそう長くはないことを感じ始めていた。

 
 

 

 

 

総長の山南敬助が脱走した際には、たった一人で追っ手として向かうことを近藤と土方から命じられる。

 

沖田は山南が大好きであった。

 

隊規の局中法度で脱走は死罪である。

 

 

 

近藤や土方は、沖田の人生そのものような試衛館で、子どもの頃から一緒に過ごした兄貴分であるが、剣術の腕は沖田の方が上だった。

 

 

一方、山南には沖田にはない知性があり、数々の初めて訪れる土地で、その風土や歴史を解説してくれるなど、山南の知性は若い沖田の好奇心と向上心を存分に刺激した。

 

 

 

沖田は、土方と近藤が山南を見逃すために、自分一人に追いかけさせたのだと察する。

 

 

しかし、沖田が近江草津で山南を発見すると、山南は抵抗することなく、沖田の期待を裏切ってアッサリと新撰組の屯所に戻った。

 

近江草津

屯所に戻った山南は正式に切腹を命じられ、その介錯は、山南たっての希望により沖田が果たすことになる。

 

 

 

 

 

沖田は、凄腕の新撰組一番隊組長としての顔とは裏腹に、いつも冗談を言っている陽気な人物で、暇な時は屯所界隈の子ども達と遊んでいる事が多かった。

 

 

山南に並び人当たりが良く、優しく無邪気な沖田は、まるで天使のようだと言われ、そんな沖田にとって、新撰組での人斬りの日々は、激しいストレスになっていたのかもしれない。

 

 

ただ、兄のように慕う近藤や土方が、自分の強さを頼りにしてくれることも素直に喜びを感じていた。

 

 

もしかしたら、こうした複雑な心理が、その行動を不安定にし、持病の悪化を早めていったのかもしれない。

 

 

沖田総司1
 

沖田は、体調の悪化とともに徐々に第一線で活躍することがなくなり、「鳥羽・伏見の戦い」には参加せず、江戸に戻ってからは幕府の医師・松本良順により千駄ヶ谷の植木屋でかくまわれて療養生活を送る。

 

 

近藤が甲陽鎮撫隊として出陣する前に見舞いに来ると、沖田はただただ声を上げて泣き、あの無邪気な姿は見る影もなくなっていた。

 

 

近藤が板橋刑場で処刑されてからも、そのことを知らない沖田は「近藤さんはどうされたのでしょうね。お便りは来ませんか?」と寂しがっていたという。

 

 

 

 

そうして、近藤の死を知らぬまま、近藤の死から2カ月後、持病の労咳(結核)でその生涯を終えた。

 

 

没時年齢については生年が明確でないため2425歳という説が有力視されている
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