ホリディはペンシルベニア歯科大学で歯科医の資格を取得、アトランタで医院を開業するが、まもなく肺結核となり、病気を悪化させないため、より乾燥した西部への移住を決意する。
だが、1874年、不法賭博で起訴され、翌年には酒場でバーテンダーと派手に打ち合い逮捕される。
これは無罪となったが、不法賭博では有罪となったためテキサスから逃げ出し、南部諸州を流れ歩き、多くの殺人を犯すことになった。
このホリディの行動は、かっとなりやすい性格と、一度は死を宣告された経歴が原因と言われている。
1877年、ホリディはフォート・グリフィンで保安官ワイアット・アープに出会い、二人は無法者のギャンブラーと保安官という組み合わにも関わらず、妙に気が合った。
翌年には、ダッジシティでアープが、荒くれ者のカウボーイ達に取り囲まれてあわやという時、ホリディが機転を利かしてアープを助けるということもあり、以来、二人の友情はホリディが死ぬまで続く。
ワイアット・アープ
また、このころホリディは生涯の愛人となるメリー・キャサリン・ホロニーと出会う。
メリーは「でかっ鼻のケイト」と呼ばれ、残っている写真を見るとお世辞にも美人とは言えないが、ホリディが死ぬまで愛人関係は続いた。
しかし、親友や愛人と出会ったにもかかわらず、ホリディの無頼な生活は変わらず続く。
1979年、ニューメキシコ州ラスベガスの酒場で、退役軍人のマイク・ゴードンを射殺し、目撃者によれば、初めにゴードンが拳銃を抜いたという。
結果、裁判では無罪となり、ホリディは「早撃ち」としてかえって尊敬を得るようになる。
1981年、ホリディはアープが保安官をしているアリゾナ州トゥムストーンに出向いた。
アープ一家と地元の有力者クラントン一派との対立が激しくなったため、アープが助っ人としてホリディを呼んだためである。
同年10月26日、ホリディを含むアープ一家4人と、クラントン一派6人が、トゥームストンの町外れの馬囲い場(コラル)で、激しい銃撃戦を繰り広げた。
これが世に有名な「ОKコラルの決闘」である。
結果はアープ一家が圧勝し、ホリディも軽傷を負ったが無事だった。
「ОKコラルの決闘」から6年後の1887年11月8日、ドク・ホリディは、コロラド州グレンウッドスプリングスで肺結核により36歳で死亡する。
医学博士の称号を持つ異色のギャンブラー、なによりも、若くして肺結核になり余命数ヶ月と宣言された早撃ちのガンマンというキャラクターは、新撰組の沖田総司のように知る者の関心を引き寄せ、多くの映画作品で存在感を持って登場した。
ジョン・フォー監督「荒野の決闘」(1946年、ヴィクター・マチュア出演)
ジョン・スタージェス監督「ОK牧場の決闘」(1957年、カーク・ダグラス出演)
スタージェス監督の「墓石と決闘」(1967年、ジェイソン・ロバーズ出演)
フランク・ベイリー監督「ドク・ホリディ」(1971年、ステイシー・キーチ出演)
ジョージ・P・コスマ監督「トゥームストーン」(1993年、ヴァル・キルマー出演)
ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」(1994年、デニス・クエイド出演)