18歳の頃には、バッファロー狩りや駅馬車の護衛で生計を立て、19歳の時にカンザス州エルズワースで初めて保安官となり、ガンマンとして腕を上げ、乱暴者を取り押さえて名をあげていく。
1870年にウリラ・サザーランドと結婚するが死別。
1875年にはカンザス州ウィチタの保安官事務所で働き、1878年にはドッジシティの保安官事務所に勤務して、町の平和に尽くした。
ワイアットの保安官ぶりは暴力的ではあったが、ほとんど拳銃を抜かずに、相手を威圧し去ったという。
この頃に、有名なガンマンでギャンブラーだったドク・ホリディと知り合い、友情を抱き合うようになる。
ドク・ホリディ
1879年9月、ワイアットはやり方の荒っぽさからドッジシティの保安官を解雇され、アリゾナのトゥームストーンに移住した。
ここでワイアットは農業の傍ら、賭博場の胴元、売春宿の経営者にもなる。
ところが3ヶ月後、兄ヴァージルがトゥームストーンの保安官に就任したため、ワイアットも弟モーガンと共に保安官補佐となって兄ヴァージルを助けた。
こうしてトゥームストーンでのアープ一家の力が増すに従って、それまで町を牛耳っていたカウボーイズと呼ばれるクラントン一派との対立が険しくなっていく。
そして、1881年10月26日、ドク・ホリディを加えたアープ一家4人と、クラントン一派のカウボーイズ6人が、OKコラルで撃ち合いとなった。
アープ一家は3人が負傷するがワイアットは無傷、クラントン一派は3名が射殺される。
この事件後も両派の争いは続き、アープ一家は殺人罪で起訴されたが無罪、怒ったクラントン一派はワイアットの兄弟ヴァージルとモーガンを闇討ちにし、兄ヴァージルは重傷、弟モーガンは命を奪われた。
その後、ワイアットに実業家に転向し、いろいろな事業に手を染め、アラスカの鉱山経営をやって、1929年1月13日、ロサンゼルスで平和の中81歳で死んだ。
西部史上最も名高い銃撃事件「OKコラルの決闘」をはじめ数々の戦いをくぐり抜けた西部開拓史上最も有名な保安官であり、犯罪者、ギャンブラー、売春宿の経営者、金鉱探し、実業家と、一筋縄では行かない様々な顔を持ち、西部開拓時代の伝説的な生き証人として親交を持った映画監督ジョン・フォードの西部劇製作に影響を与えたワイアット・アープは、多くの映画作品で登場し、アメリカの俳優にとってキャリアにワイアット・アープ役があることは大きなステータスとなっている。
ジョン・フォード監督「荒野の決闘」(1946年、出演ヘンリー・フォンダ)
ジョン・フォード監督「シャイアン」(1946年、出演ジェームス・スチュアート)
ジョン・スタージェス監督「OK牧場の決闘」(1957年、出演カーク・ダグラス)
ジョン・スタージェス監督「墓石と決闘」(1967年、出演ジェームズ・ガーナー)
ジョージ・P・コスマ監督「トゥームストーン」(1993年、出演カート・ラッセル)
ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」(1994年、出演ケヴィン・コスナー)
ClubT ワイアット・アープ 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,ジップパーカー など)
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