「劇団Camelot」は、世界の伝説や神話、様々な歴史などを、紹介する猫のキャラクターです。


詳しくはカテゴリー「劇団Camelotとは? (総合案内)」をご覧ください。

マケドニア

25.形に残らないもの (マンガ劇団Camelot)

25.形に残らないもの



アレクサンドロス大王 (紀元前356~紀元前323年)
アレクサンドロス3世7
古代ギリシア世界の小国マケドニアから人類史上初めて世界を制した大英雄。

紀元前333年「イッソスの戦い」では大胆で斬新な戦術と強いカリスマ性を発揮し、4万足らずのマケドニア軍が、当時最先端の大国アケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス3世が率いるペルシア軍12万を壊滅させた。

24.引き際 (マンガ劇団Camelot)

24.引き際



プトレマイオス(紀元前367年~紀元前282年)
プトレマイオス250x350
世界を制したアレクサンドロス大王の後継者候補達はプトレマイオス以外全て滅びてしまった。

アレクサンドロス大王の死後、誰よりも後継者としての野心を隠さなかったが、悲願である帝国再統一の可能性が現実味を帯びると逆にここが引き際と悟り、以後プトレマイオス朝エジプトは絶世の美女クレオパトラに至るまで約300年その系譜が継がれていく。



グレー
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



23.Think globel,Act local (マンガ劇団Camelot)

23.Think globel,Act local



セレウコス(紀元前358年~紀元前281年)
セレウコス250x350
アレクサンドロス大王の死後、後継者争いで最大規模となった「イプソスの戦い」を制したセレウコス朝シリアの王。

アレクサンドロス大王の後継者争いで最大勢力となったアンティゴノスに度々拠点であるバビロンを狙われるも、後継者争い最大規模の「イプソスの戦い」でチャンドラグプタから譲り受けた象の大群でアンティゴノスに勝利する。



ピーチ
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



22.免罪符 (マンガ劇団Camelot)

22.免罪符



アンティゴノス(紀元前382年~紀元前301年)
アンティゴノス250x350
アレクサンドロス大王の死後、後継者争いで最大勢力となりアンティゴノス朝マケドニアの王となる。

「グラニコス川の戦い」後は本隊に従軍せずアナトリア地方で後方活動ながらもアレクサンドロス帝国の版図を広げ、アレクサンドロス大王の死後は、後継者争いを勝ち抜いて、故国マケドニアを掌握するギリシア世界の盟主となった。



オリーブ
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



21.その時のために (マンガ劇団Camelot)

21.その時のために



アンティパトロス(紀元前397年~紀元前319年)
アンティパトロス250x350
アレクサンドロス大王の東方遠征の際に留守のマケドニアを任され、最後は老齢にして帝国トップとなる。

アレクサンドロス大王の死後、事実上の帝国トップとなったペルディッカスと対立し、ペルディッカスがセレウコスらに暗殺されると、老齢にして帝国摂政としてトップの座に着く。



ラベンダー
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



20.選択の必要なし (マンガ劇団Camelot)

20.選択の必要なし



ペルディッカス(紀元前?~紀元前320)
ペルディッカス250x350
アレクサンドロス大王の死後、最初に、事実上の帝国トップに立ったライオンも恐れた豪傑。

アレクサンドロス大王が軍勢を二手に分ける時、その片方の指揮を任された戦場におけるNO.2で、アレクサンドロス大王の臨終の際には王の証である印綬の指輪を渡された。

19.教育機会の平等 (マンガ劇団Camelot)

19.教育機会の平等

ヘファイスティオン(紀元前356~紀元前324)
ヘファイスティオン250x350
人類史に多大な影響を与えたアレクサンドロス大王が心を通わせた唯一無二の親友。

マケドニア軍のインド侵攻後は、別働隊を任され、本隊から先行して砦を制圧するなどの活躍をした。ヘファイスティオンが死んだ時、悲しみに支配されたアレクサンドロス大王は自殺を試みて3日間食事も摂らず衣服も着替えなかった。



52953005
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」 
(Tシャツ 税抜3000円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



17.美人のグローバル化 (マンガ劇団Camelot)

美人のグローバル化

アレクサンドロス大王 (紀元前356~紀元前323年)
アレクサンドロス3世7
古代ギリシア世界の小国マケドニアから人類史上初めて世界を制した大英雄。

紀元前333年「イッソスの戦い」では大胆で斬新な戦術と強いカリスマ性を発揮し、4万足らずのマケドニア軍が、当時最先端の大国アケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス3世が率いるペルシア軍12万を壊滅させた。



シーブルー
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



プトレマイオス1世 (絶世の美女クレオパトラ7世につながる系譜)

700x1000 プトレマイオス ArtNouveauCap



プトレマイオスはマケドニア王国の貴族ラゴスの子で、早い段階から側近騎兵隊将校として、ラオメドン、ネアルコらと共にアレクサンドロス3世からの厚遇を受けていた。


東方遠征では将軍として重要なポジションを任され続ける。


紀元前330年以降は側近護衛官となっており、アレクサンドロス3世の親友ヘファイスティオンや豪傑ペルディッカスと共に王からの信頼が特に厚い重臣であった。




紀元前323年にアレクサンドロス3世がバビロン(現 イラク・バグダッド)で死去すると、有力諸将の会議の結果、プトレマイオスは肥沃な土地エジプトの太守となる。


この時点での帝国のトップであるペルディッカスが、アンティパトロスの娘ニカイアとの婚約を破棄すると、ペルディッカス派とアンティパトロス派に分裂する。


プトレマイオスはアンティゴノスらと共にアンティパトロスに味方した。

アレクサンドリア

そうした折に、ペルディッカスがバビロンからマケドニア本国へ移送中だったアレクサンドロス大王の遺体をプトレマイオスは奪い、そのままエジプトのアレクサンドリアに埋葬する(ただ、現在にいたるまで遺体は発見されていない)。


アレクサンドロス大王の遺体を埋葬するという行為は後継者をアピールする行為であり、さらにエジプトはかつてアレクサンドロス大王が王(ファラオ)として民衆に受け入れられた意義深い土地である。

プトレマイオスに後継者としての強い野心がハッキリとあることが伺われる行動であった。



しかし、紀元前321年、プトレマイオスを討伐しに来たはずのペルディッカスが、ナイル川の渡河に失敗すると部下のセレウコスらに暗殺された。

プトレマイオスにとって最大のピンチになりかけていた事態が幸運にも回避される。




ペルディッカスの死により、プトレマイオスが支持したアンティパトロスが帝国のトップになるが、紀元前319年、老齢であったアンティパトロスが死去すると、アンティゴノスが破竹の勢いで勢力を拡大していった。


圧倒的な勢力となったアンティゴノスは、帝国の完全掌握を目指し、バビロンを治めるセレウコス討伐に力を注ぎ始めた。

サラミスの海戦

プトレマイオスは、アンティゴノスの意識がセレウコスのシリア方面に向いている隙に、エジプトから地中海を経てギリシア世界に勢力を伸ばそうとする。

しかし、紀元前306年「サラミス海戦」でアンティゴノスの息子デメトリオスが、プトレマイオスの艦隊を大敗させ、それを阻止する。




アンティゴノスがアンティゴノス朝を開き王となると、プトレマイオスとセレウコスもそれに対抗して王朝を開いた。


アレクサンドロス大王の遺体が埋葬されており、肥沃な大地が広がるエジプトを背景に、プトレマイオスも後継者としての野心を隠さなかった。

プトレマイオス1

さらに、プトレマイオス、セレウコス、カッサンドロス、リュシマコスは、アレクサンドロス帝国の統一を強攻に進めようとする最大勢力アンティゴノスに対抗するために同盟を組んだ。


紀元前301年に「イプソスの戦い」でセレウコス・リュシマコスの連合軍はアンティゴノスに勝利して戦死させる。


セレウコスは、旧ペルシア支配地域の多くを領土にし、ハッキリと最大勢力となると、ここまでずっと共闘関係にあったプトレマイオスとの対立が色濃くなる。


紀元前282年、セレウコスは「コルぺディオンの戦い」でプトレマイオスに味方するリュシマコスを敗死させ、さらに故国マケドニアを勢力下におさめようと遠征する。


しかし、この遠征にプトレマイオスの息子ケラウノスが同行していた。

息子ケラウノスは、プトレマイオスからエジプトを追放され、さらにプトレマイオスがエジプトの王位をケラウノスの弟に継がせる意思をハッキリさせていたため、ケラウノスは自力でマケドニア王になる野心を抱き、遠征道中にセレウコスを暗殺した。




紀元前288年、プトレマイオス朝エジプトは、プトレマイオスの後妻ベレニケ1世が産んだ息子プトレマイオス2世が後継者となると、その後300年近い繁栄を築く。
 
アレクサンドリア

そして、このプトレマイオス朝の最期の女王となるのが、絶世の美女として知られるあのクレオパトラ7世である。

セレウコス1世 (セレウコス朝シリア王)

700x1000 セレウコス ArtNouveauCap



セレウコスはマケドニア王国の貴族アンティオコスの息子であるが、アレクサンドロス3世が東方遠征を開始した時点で20歳前であり、大軍を指揮する立場にはなかった。


伝承が残るような活躍はマケドニア軍がインドに侵攻して以降になる。


紀元前326年、アレクサンドロス3世にとって最後の戦いとなる「ヒュダスペス河畔の戦い」では、近衛歩兵部隊の指揮官を務めるようになっていた。



紀元前324年に、ギリシアとペルシアの融合を考えるようになったアレクサンドロス3世の政治政策として、スーサ(現 イラン南西部フーゼスターン)でマケドニア兵士と現地ペルシア人女性の合同結婚式がおこなわれた。


この時、セレウコスはソグディアナ(現 ウズベキスタン領内)の有力者スピタメネスの娘アパメーと結婚する。


多くのマケドニア兵士は、率直な感想としては意味不明に外人と結婚させられた感覚であったため、この時の彼らの結婚相手は性処理にしか使われなかった。


そんな中で、セレウコスは生涯アパメーと連れ添う。

セレウコスが妻を通してペルシアを理解したことが、後々、支配地域の住民に高い支持を受けることにつながる。

スーサ合同結婚式


紀元前323年6月10日、アレクサンドロス3世が死去する。


この時点で、セレウコスは、帝国の事実上のトップにいたペルディッカスの部下であった。


そのペルディッカスが、帝国のNO.2格アンティパトロスの娘との婚約を破棄すると、ペルディッカスとアンティパトロスは対立関係となる。



紀元前321年、セレウコスはペルディッカスに従い、アンティパトロス派のプトレマイオスを攻めるためにエジプトへ行く。

そこで、なんと、セレウコスは、ナイル川の渡河に苦労するペルディッカスの統率能力を不安に感じて暗殺する。


自身の勢力拠点を持っていなかったセレウコスに、いつ頃から政治的野心が芽生えていたのかは分からないが、この頃から政治的野心が行動に出始める。


ペルディッカスの死により、アンティパトロスが帝国の事実上のトップになり、セレウコスはバビロン太守の地位を獲得する。

大都市バビロンの太守となり、セレウコスは後継者候補の一人に躍り出た。

バビロン


紀元前319年、老齢であったアンティパトロスが死去すると、アンティゴノスが破竹の勢いで勢力を拡大していった。


アンティゴノスとセレウコスは、アンティパトロスの死後、協力関係を続けたが、徐々にアンティゴノスは若く勢いのあるセレウコスを警戒するようになる。


紀元前315年、セレウコスはアンティゴノスにバビロンを奪われ、エジプト太守プトレマイオスに庇護を求めた。


そして、今度はセレウコスがプトレマイオスの協力を得て、「ガザの戦い」でアンティゴノスの息子デメトリオスからバビロンを奪還する。



バビロンを奪回したセレウコスは、この時、プトレマイオスから譲り受けた僅かな兵しか率いていなかった。

しかし、セレウコスが以前にバビロン太守として善政をしいていたので、バビロンの住民はセレウコスを歓迎し、セレウコスによるバビロンの再興に協力的であった。


セレウコスがバビロンの住民から高い支持を得ていた背景には、妻アパメーを通してペルシア人への理解が深かったことが大きく影響していた。

セレウコス1

アンティゴノスがアンティゴノス朝を開き王となると、プトレマイオスとセレウコスもそれに対抗して王朝を開いた。

バビロン太守に返り咲いたセレウコスも後継者としての野心を膨らませていた。

この時点ではやや不安定な立場ながらも、アレクサンドロス大王終焉の地であるバビロンを拠点に王位に就くことで後継者としての意味合いをだした。




アンティゴノスに対抗するうえで、背後の安定を考えたセレウコスは、かつてアレクサンドロス大王が侵攻したインドへ後継者として遠征すると、その頃インドで成立したばかりのマウリヤ朝の王チャンドラグプタが率いる大軍と遭遇する。


そこでセレウコスは、チャンドラグプタにインドに近いセレウコスの支配地域を譲り、さらに娘をチャンドラグプタの息子に嫁がせた。


その見返りにセレウコスはチャンドラグプタから500頭の象を譲り受ける。

チャンドラグプタ
  
チャンドラグプタ

その後、セレウコス、プトレマイオス、カッサンドロス、リュシマコスは、アレクサンドロス帝国の統一を強攻に進めようとする最大勢力アンティゴノスに対抗するために同盟を組んだ。




紀元前301年、セレウコスはリュシマコスと共に、イプソス(現 トルコ中西部)でアンティゴノスとの決戦に挑む。

セレウコスがチャンドラグプタから譲り受けた象の大群は、凄まじい威力を発揮し、この後継者争い(ディアドコイ戦争)で最大規模となった戦いに圧勝する。


そして、この「イプソスの戦い」でアンティゴノスは戦死した。



セレウコスは、旧ペルシア支配地域の多くを領土にし、ハッキリと最大勢力となると、ここまでずっと共闘関係にあったプトレマイオスとの対立が色濃くなっていく。



セレウコスは勢力争いと同時に、内政にも積極的に取り組み、シリアのオロンテス河畔(現在のトルコ・アンタキア)にセレウコス朝の首都としてアンティオキアをはじめ、セレウキア、ラオディケイア、アパメイアなどの都市建設を進めた。

セレウコス2

紀元前282年、セレウコスは「コルぺディオンの戦い」でプトレマイオスに味方するリュシマコスを敗死させ、さらに故国マケドニアに勢力を拡大しようと遠征する。


しかし、この遠征に同行していたプトレマイオスの息子ケラウノスは、父プトレマイオスからエジプトを追放され、さらに弟が後継者として目されていたため、自力でマケドニア王になる野心を抱いていた。

セレウコスは、このケラウノスに暗殺され、故国を手中にすることは出来ずに終わった。



セレウコスの死後、セレウコス朝シリアはゆっくりと、しかし確実に衰退していく。



アイボリー
ClubT  アレクサンドロス大王 「劇団Camelot」
(Tシャツ 税抜3200円,長袖Tシャツ,スマホケース各種 など)



読者登録
QRコード
QRコード
メッセージ

名前
メール
本文
RSS
  • ライブドアブログ