絶世の美女として後世に名を連ねる人物は少なくない。
そんな有史以来の人類に登場した絶世の美女の中から、どのような尺度を持って誰を選ぶか考えるのも面白いのではないかと思う。
そのうえで最も重要なことは、主観の問題を超越した存在であることである。
選ぶ以上、主観が1ミリも存在しないことはあり得ないが、主観が100%であるならば、究極、自分の恋人や妻になってしまう可能性すらある。
それは全く人類史的ではない。
ハッキリとした美女としての知名度は最低限必要である。
その次に重要なのが歴史的な影響力があったことである。
極端な話、有名画家のモデルになった名もなき少女ってわけにはいかない。
絶世の美女というからには100年先にも名前が残っている必要がある。
さらに1000年経っても名前が残るには歴史的な影響のあった人物でないと100年後には忘れられている。
三つ目は、実際に美人であること。
絶世の美女であるからには、当然であるが、基本的に写真がない時代がほとんどである。
しかしながら、近い時代に残された絵画や彫刻はそれなりに信用が出来ると考えている。
そこいらの高校の美術部の生徒ですら人物画をソックリに描くことが出来る。
その時代の一流のアーティストが残した絵画や彫像が似ていないと考える方が無理がある。
三つ目に不随して、美人の基準は時代に左右されない。
時代に左右されると思い込まれているのが一般的であるが、そうではないと考えている。
もちろん現代ですら数年単位で起こるメイクのブームなどは常に存在しているであろうが、基本的な基準は変わっていない。
その根拠がヘレニズム文化である。ギリシアの女神の彫像を見ると、現代の美人の基準と大きく違っているようには思えない。2000年以上前から、目が大きく、面長で、鼻が高い、そういう特徴は一緒である。
アレクサンドロス大王がギリシアの価値観を拡散して以降は、美人もグローバルスタンダードとなっている。日本ですら飛鳥文化(1400年くらい前)にはその影響が見られる。
こういった基準を持って、次回以降、7人の絶世の美女をピックアップしてみたいと思う。
そして、次回、一人目は文句なしに、クレオパトラ7世である。
クレオパトラ7世は、人類史上屈指の偉人を魅了し、そんな女性は「美女」に決まっているという現実的な見解と、クレオパトラ7世の教養の高さをクローズアップして逆に容姿はそこそこであったというフェミニズムが絡んだ見解とが、常に存在してきた。
しかし、現実的に考えて、クレオパトラ7世の生涯から、容姿がそこそこであったと推測するのは無理がある。ハッキリと人類史上NO.1でないにしても、さらには当時の世界NO.1でもなかったにしても、その生涯を考えると最低でも誰が見ても美人という感じではあったはずである。
容姿はそこそこであったの根拠が、教養が高いのでモテたでは、乱暴すぎる話である。
容姿はそこそこであった説というのは、女性の価値は容姿ではないというフェミニズム的願望が生み出しているように思える。
その価値観には賛成であるが、その価値観のために、歴史を正確に推測することを否定したいとも思わない。
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