家族は、キャサリーンと兄ジョゼフ、父親については諸説あって不明。
ビリーは身持ちのよくない母親と西部へと流れて行き、ニューメキシコで育ち、14歳の時、母親を侮辱した男を殺して家を飛び出す。以来、生涯に21人を殺害する。
家出してからは、アリゾナ、テキサス、メキシコ国境で牛泥棒や強盗、殺人を重ね、いつしかビリー・ザ・キッドと異名をとるアウトローになっていた。
西部開拓史上最も凶悪なアウトローとされているビリーであるが、小柄で口達者で、意外にも誰に対しても愛想のよい態度を示したという。
18歳の時にビリーは、イギリスから移住しリンカーン郡で牧場を始めたジョン・H・タンストールという牧場主に拾われ、その人格に敬服して、その下でカウボーイとして働くようになる。
しかし、タンストールが牧場と同時に商店経営も手がけ、それが大成功を収めたため、既得権益を守ろうとする地元の商店経営者ローレンス・マーフィーやジェームス・ドランらに妬まれるようになった。
マーフィーやドランらは乱暴者を集めてタンストールの商売を妨害する。
対抗上、タンストールもカウボーイの数を増やし、緊迫した状況下、タンストールがドランの派遣した保安官によって殺されてしまう。
タンストールを殺されたビリー達は、マーフィー・ドラン派の保安官などを片っ端から殺し、派手な戦闘を繰り広げた。
これが「リンカーン郡戦争」と呼ばれる事件で、結果はビリー達が敗れたが、その後もビリーは一人で殺人、強盗を重ねてお尋ね者となる。
アリゾナ州知事ルー・ウォーレス将軍(小説「ベン・ハー」の作者)は、ビリーの旧友パット・ギャレットを保安官に起用して、ビリーを追跡させた。
1880年12月のクリスマスの日、さすがのビリーもついにパットに追いつめられ、逮捕される。
しかし、その23日後、ビリーは看守を射殺して脱獄してしまった。
パットは再びビリーを追い、1881年7月14日、ニューメキシコのフォート・サムナーに潜伏していたビリーは、パットに発見されて射殺され、わずかた21年の生涯を閉じた。
ビリー・ザ・キッドは左利きだったという説があるが、これは残された写真が左右逆に焼かれていたためだという。また、写真からは160センチぐらいの身長だったことが推定されている。
ビリーの拳銃の腕前であるが、ある時、サムナー砦で暴れ者のカウボーイであるジョー・グランドに出会ったビリーは「拳銃を見せてくれ」とねだり、隙を見て一発目の弾丸を抜いておいた。
その後、ビリーとグランドは口論になり、後ろからグランドが拳銃の引き金を引くも、もちろん不発、その刹那、ビリーは振り向きざまに3発の弾丸をグランドに浴びせる。
そして、グランド死体を改めると、3発とも同じ所に命中していた。
ビリーの墓石は度々洪水で押し流されたり、盗難に遭ったりの災禍を経た後、現在の元の墓所と思われる場所に安置し直されたが、その後も人気故に記念品として削られたりして持ち帰られてしまうため、現在は檻に囲われている。
ハワード・ヒューズ監督「ならず者」(1943年、ジャック・ビューテル主演)
アーサー・ペン監督「左ききの拳銃」(1958年、ポール・ニューマン主演)
サム・ペキンパー監督「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」(1973年、クリス・クリストファースン主演)
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