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1848
25日、ベル・スター、本名はマイラ・ベル・シャーリーはミズーリ州カーセッジ近くの農園主の娘として生まれた(父親は判事だったという説もある)

 

ベルの家は裕福だったようで、上流階級が通う女学校で、正規のカリキュラムの他、音楽や古典語を学び優秀な成績を収めたという。


ミズリー州カーセッジ

しかし、南北戦争が始まると、一家は戦乱を避けてテキサスへ移住し、そこでベルは兄バドから乗馬や射撃を習った。

兄バドは南北戦争に従軍し、ジェシー・ジェイムズやコール・ヤンガーと共にクワントリル・ゲリラの一員として活動し、1864年、バドは北軍に急襲されて死亡する。

 

ベルは愛する兄を失った。


南北戦争
 

南北戦争後、ベルの一家はテキサス州ダラス南東の小村に移住して農場を経営し、そこへ逃げ込んできた元南軍兵士の無法者達を匿うようになる。

 

1866年、18歳のベルは、そうした無法者達の中の一人で強盗をしてミズーリから逃げてきたコール・ヤンガーと愛し合うようになり、二人の間には娘パールが生まれた。

 

ベルとコール・ヤンガーはダラスで2年間過ごすが、やがてコール・ヤンガーはジェシー・ジェイムズの呼び出しに応じてミズーリへ戻ってしまう。

 

コール・ヤンガー
   コール・ヤンガー
 

コール・ヤンガーに捨てられた格好となったベルは、すさんだ生活を送るようになり、馬泥棒のジム・リードと知り合い、一緒に暮らし始める。

 

悪の道へと足を踏み出したベルは、ジム・リードと強盗稼業の日々を送るようになり、1874年、指名手配を受けたジムはテキサス州パリスで保安官に射殺された。

 

 

1880年、32歳となったベルは、チェロキー・インディアンとの混血サム・スターと結婚し、以後、ベル・スターと名乗るようになる。

 
チェロキー族

サム・スターもまた強盗稼業を生業としていた男で、サム・スターとベルはギャング団を率いてオクラホマ一帯を荒らしまわった。



1883年、フォートスミスで二人は捕まり、「首吊り判事」として有名なアルトン・パーカー判事に裁かれることになったが、意外なことに一年の刑で済み、出獄後、二人はまたもや当然のごとく悪事を重ね、サム・スターは居留地の保安官と撃ち合って殺される。

 

パーカー判事
   アルトン・パーカー

サム・スターを殺されたベルは、ギャング団の一員ジム・ジュライと結婚するが、その3年後、官憲の追及が厳しいので自首しようとしたところ、仲間のエドガー・ワトソンに背後から撃たれて殺された。

 

 

 

ベルは決してズボンをはかず、上質のドレスを身に着けた貴婦人スタイルで馬に乗り暴れ回っていたので、その特異な姿と雰囲気から当時の新聞は「クイーン・オブ・ザ・バンデッド」などとセンセーショナルに書き立てた。

 

その「クイーン・オブ・ザ・バンデッド」のイメージが、多くの伝説に尾ヒレをつけて脚色され「ダラスの酒場で博打や飲酒に溺れて街中で馬を乗り回しながら拳銃を撃ちまくっていた」「男装して店に放火したり銀行を襲ったり、銃で脅してポーカーの掛け金を巻き上げていた」「頭領として馬賊を率いていた」といった当時の新聞や裁判記録などの公的な記録からは見当たらない話が広がる。


ベル・スター
 

しかし、ベルの40年の生涯を見ると、愛した男がいずれもならず者で、一途にその男に引っ張られるようにして悪事を重ね、ベル自身にはそこまでの凶悪性はなかった。

 

 

そんなベル・スターを取り上げた映画作品がある。

 

アーヴィング・カミングス監督「女傑ベル・スター」(1941年、出演ジーン・ティアニー)

女傑ベル・スター



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