4歳年上の兄フランクは、南北戦争が始まると、悪名高いウィリアム・クワントレルの南軍ゲリラに参加する。
ジェシーも15歳の時、兄に続いてクワントリル・ゲリラに身を投じ、そこで殺人や強盗を覚えていく。
南北戦争が終わると、クワントリル・ゲリラに属した者は、無法者として追われる身になったため、ジェシーは兄フランクや元戦友のヤンガー4兄弟(コール、ジム、ジョン、ボブ)らと共に「ジェイムズ=ヤンガー・ギャング団」を結成し、北部系の銀行や鉄道を次々と襲い、強盗や殺人を繰り返した。
ウィリアム・クワントレル
「ジェイムズ=ヤンガー・ギャング団」の主な犯罪歴を挙げると
1866年10月、ミズーリ州レキシントンの銀行を2名で襲撃、2000ドルを奪う。
1867年5月、リッチモンドの銀行を襲撃、8名を殺害し4000ドルを奪う。
1868年3月、ケンタッキー州ラッセルヴィルの銀行を6名で襲い、15000ドルを強奪。
1871年6月、アイオワ州で40000ドルを奪う。
といった具合に、次第に強奪金額が増え、その犯罪はエスカレートしていっている。
その大きな要因は、北部系の銀行を襲ったことで、南部びいきの農民の支持を受けたことや、銀行の金利に苦しむ農民が一味をかくまってくれたことにある。
さらに、一味がミズーリ州セントルイスで列車を襲った時、乗客の手を調べて、労働者と女性からは金品を奪わなかったことで、新聞に「奪うのはシルクハットの紳士たちから」という記事が掲載されたり、ある農場で南軍兵士の未亡人から食事をご馳走になった時に、1400ドルの借金のため農場が人手にわたると聞くと、お金を恵んだという話が広がったり、銀行襲撃の時に逃走する一味の馬のひずめで怪我をした少女に「治療代を払う」と新聞に投書したことなどから、一味は南部の民衆から「義賊」として認識された。
1874年にはジョン・ヤンガーが殺害され、一味は次第に追いつめられていき、1876年、ミネソタ州ノースフィールドで銀行を襲った時に住民の抵抗に遭って、ヤンガー兄弟は捕らわれてしまう。
コール・ヤンガー
一方で、ジェイムズ兄弟は逃走に成功し、ほとぼりが冷めた後にフォード兄弟(ボブ、チャーリー)を仲間に加えて、再び強盗をくりかえした。
1882年、ミズーリ州政府はジェシーの首に100000ドルの懸賞をかける。
すると、この懸賞に目がくらんだフォード兄弟は、1882年4月3日、ハワードと変名して隠れていたジェシーを背後から射殺した。
義賊として民衆の支持を得ていたジェシーの生涯は物語性に富み、34歳で仲間の裏切りによって命を落とすという悲劇的な最期は多く同情を集め、ジェシー・ジェイムズを扱った映画作品は数多い。
ヘンリー・キング監督「地獄への道」(1939年、タイロン・パワー主演)
フイリップ・カウフマン監督「ミネソタ大強盗団」(1972年、ロバート・デュバル主演)
アンドリュー・ドミニク監督「ジェシー・ジェイムズの暗殺」(2007年、ブラッド・ピット主演)