ワイルド・ビル・ヒコックは1837年5月27日、イリノイ州トロイ・グローブで生まれる。
本名はジェームズ・バトラー・ヒコックだが、高い鼻とややめくれあがった上唇から「ダック・ビル(鴨の嘴)」を縮めて「ビル」と呼ばれた。
18歳の時、運河の建設現場で殺人未遂を犯して逃亡する。
その頃、アメリカ合衆国の34番目の州として昇格するまで準州とされていたカンザスは、奴隷制度を擁護しようとする 南部を中心とした奴隷州と、奴隷制度の廃止を訴える北部を中心とした自由州の紛争の焦点であった。
ヒコックはこのカンサス準州で起こった北部派と南部派の抗争に参加し、1861年7月、南部派の10人に襲撃されるが、なんとヒコックは6人を射殺、一人を殴り殺し、残る3人をナイフで刺殺すると鬼神のような強さを見せ、この事件はその後「ロック・クリークの殺戮」として有名になる。
南北戦争が始まると、ヒコックは北軍に入り、偵察兵(スカウト)として活躍した。
除隊後、ヒコックはミズーリ州スプリングフィールドでディーブ・タットという男と決闘して殺し、これが作家ワード・ニコルスに知られると「ロック・クリークの殺戮」をクライマックスとする実録「ワイルド・ビル」が雑誌「ハーパーズ」に掲載され大評判となる。
翌年、ヒコックはリイ砦で連邦保安官補佐に任命され、ついで大胆不敵な戦い振りで有名なカスター大佐が率いる第七騎兵隊に偵察兵として参加すると、カスター大佐はヒコックのことを「男の中の男だ」と激賞する。
ジョージ・アームストロング・カスター
その後、ヒコックはカンザス州ヘイズ・シティの保安官となり、190cmを越える長身でカスタムメイドのブーツを履き、黒い帽子からは肩まで垂らした長髪、肩幅は広く腰は細い、ガンベルトには愛用のスミス&ウエッソン、威厳を示す口ひげ、灰色の鋭い目というイデタチで勇名を馳せた。
ヒコックはさらに各地の保安官を務め、猫のようにしなやかな身のこなしで拳銃を引っこ抜き、正確に相手の胸を射抜き、無法者に対して容赦なく銃弾を浴びせる。
本人によれば6年間に36人を殺したという。
この数字は大げさかもしれないが、事実関係がハッキリしているだけでも9人を殺しているのも確かである。
ヒコックによるあまりに暴力的なやり方は、当然のごとく治安維持の成果を大きく上げ、テキサス州アビリーンの保安官を勤めた時は、通常の3倍の給料を得た。
1872年、ヒコックは西部開拓時代随一の興行主バッファロー・ビルの主催する「西部ショウ」に参加すると、自分自身の役を演じるなどショービジネスの世界でも活躍する。
その後さらにガイドや賭博で生活するが、視力の衰えを来たし、次第に仕事での精彩を欠くようになっていった。
そして、1876年8月2日、サウス・ダコタのデッドウッドの酒場でカード・ゲームをしている最中、ジャック・マコールという男に背後から後頭部を撃たれて39歳で死亡する。
因みに、この時ヒコックが手にしていたカードは黒のAと8のツーペアで、この事件後、その手札は「デッドマンズ・ハンド」と言われるようになった。
とにかく強過ぎた保安官ワイルド・ビル・ヒコックの魅力的な生涯は、その後、多くの映画作品にも取り上げられる。
セシル・B・デミル監督「平原児」(1936年、出演ゲーリー・クーパー)
ジュリー・ホッパー監督「ミズーリ大平原」(1953年、出演フォーレスト・タッカー)
アーサー・ペン監督「小さな巨人」(1971年、出演ジェフ・コリー)
J・リー・トンプソン監督「ホワイト・バッファロー」(1977年、出演チャールズ・ブロンソン)
ウォルター・ヒル監督の「ワイルド・ビル」(1995年、出演ジェフ・ブリッジス)