紀元前336年にピリッポス2世が暗殺され、その息子アレクサンドロス3世は弱冠20歳で王位に就くと、マケドニアは全世界の覇権を握らんと東方遠征に乗り出す。
マケドニア軍は、ペルシア帝国の支配地域であるアナトリア地方(現 トルコ領)に侵入し、「グラニコス川の戦い」をアレクサンドロス3世の鮮やかな活躍で勝利すると、勢いそのまま「イッソスの戦い」ではペルシア帝国の王ダレイオス3世自らが率いる軍勢を粉砕した。
この「グラニコス川の戦い」の後、マケドニア軍はさらにペルシアの中枢へと進軍していくが、アンティゴノスはフリュギア太守としてアナトリア地方に残され、後方の守備および支配地域の安定を任される。
この時、40代後半であったアンティゴノスは若い王にとって、責任ある仕事を任せやすい存在であった。
フリュギア太守となったアンティゴノスは、アレクサンドロス3世の去ったアナトリア地方を取り戻そうとするペルシア勢力の攻撃を3度受けたが、全て退けた。
さらに、ペルシア帝国の支配下になかった好戦的な先住民のいるリュカオニア(現 トルコ・トロス山脈の北側)を征服し、後方活動ながらもアレクサンドロス帝国の版図を広げる。
紀元前323年にアレクサンドロス3世がバビロン(現 イラク・バグダッド)で死去すると、有力諸将の会議の結果、アンティゴノスはバビロン太守として大都市を統治することになる。
また、その会議でアンティゴノスの親友エウメネスは、この時点でまだアレクサンドロス帝国の支配下になかったカッパトギアを征服し、そのままカッパトギア太守になることが決められた。
アンティゴノスは、エウメネスからカッパトギア侵攻の援軍を求められるが、エウメネスが後々自分に近い拠点で勢力を伸ばすことを敬遠し、援軍の要請を断った。
結局、エウメネスに協力したのは、帝国の実質的トップのペルディッカスであった。
この時、友情にヒビの入ったアンティゴノスとエウメネスは、その後、敵同士として相対することになる。
間もなくして、ペルディッカスに娘との婚約を破棄されたNO.2格アンティパトロスが、ペルディッカスと対立することになる。
アンティゴノスはプトレマイオスらと共にアンティパトロスの側につく。
一方、かつての友カッパトギア太守エウメネスはペルディッカスの側についた。
しかし、ペルディッカスはアンティパトロス派プトレマイオスを討つために向かったエジプトで、セレウコスらの部下に暗殺される。
ペルディッカスの死により、帝国の領土と地位の再分配がなされ、アンティパトロスが帝国摂政としてトップに座り、アンティゴノスが全軍総司令官に任命された。
アンティゴノスはペルディッカス派の追討を任され、かつての友人エウメネスが太守を務めるカッパトギアを攻め、エウメネスの弟アルタケスを自害に追い込み、エウメネスをカッパトギアから逃走させた。
時を同じくして、帝国トップであるアンティパトロスが死去し、その後継者に老将ポリュペルコンが指名されていた。
アンティパトロスの息子カッサンドロスは、この人事に納得せず、ポリュペルコンと対立する。
アンティゴノスはカッサンドロスの側についたため、ポリュペルコンの支援を受けて勢力を回復させようとするエウメネスを再び攻撃することになる。
紀元前316年「ガビエネの戦い」に勝利し、かつての友エウメネスを捕えたアンティゴノスは、エウメネスを味方にしようと思ったが、部下の猛烈な反対により断念せざるを得なかった。
アンティゴノスがエウメネスをいつまでも処刑できずにいたため、アンティゴノスの部下は業を煮やしてエウメネスを殺害した。
アンティゴノスはエウメネスの死を心から悲しみ、盛大な葬儀を挙げる。
アンティゴノスはここまで、ペルディッカスやポリュペルコンの側についた諸将を次々に倒しては、その勢力を吸収し続けたため、その勢力は残った有力諸将の中でも頭一つ抜けたものになっていた。
勢力の拡大とともに、アンティゴノスは自らがアレクサンドロス帝国を掌握する野心を強めていく。
アンティゴノスとバビロン太守セレウコスは、ポリュペルコンとカッサンドロスの対立では共にカッサンドロスの側について協力関係にあった。
しかし、エウメネスが死ぬと、アンティゴノスは若く勢いのあるセレウコスを警戒するようになる。
紀元前315年、アンティゴノスがセレウコスの領土を奪い、セレウコスはエジプト太守プトレマイオスを頼ることになる。
アンティゴノスはさらにカッサンドロスの勢力下にあるギリシア世界に遠征する。
アンティゴノスはアナトリア半島全土およびシリアからイラン高原に至る広大な地域を手中にしており、その勢力は後継者争いをする有力諸将随一で、その力の大きさに野心を焚きつけられたアンティゴノスは、アレクサンドロス帝国全体の再統一を強引に目指していく。
紀元前306年、アンティゴノス朝を開き、王位に就く。
紀元前302年、アンティゴノスはギリシア世界の盟主となり、故国マケドニアを掌握する後継者として立場を固める。
一方、拡大する一方であるアンティゴノスの勢力に、警戒心を高めたプトレマイオス、セレウコス、カッサンドロス、リュシマコスといった有力諸将は、反アンティゴノス同盟を結ぶ。
紀元前301年、アンティゴノスとセレウコス・リュシマコス連合軍がイプソス(現 トルコ中西部)で対決する。
この後継者争い(ディアドコイ戦争)で最大規模となった「イプソスの戦い」で、アンティゴノスはセレウコスの用意した象の大群に苦しみ完敗し、自身も戦死した。
最大勢力であったアンティゴノスが死んだことにより、アレクサンドロス帝国の勢力図は、細分化複雑化が増すことになる。
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