「劇団Camelot」は、世界の伝説や神話、様々な歴史などを、紹介する猫のキャラクターです。


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カウボーイ

ビリー・ザ・キッド(その写真に6億円の値がついた西部史上最も凶悪なアウトロー)

ビリー・ザ・キッド 700x1000 YatsurnoWestern



1859年11月23日、ビリー・ザ・キッド、本名ウイリアム・H・ボニイはニューヨークに生まれる。

家族は、キャサリーンと兄ジョゼフ、父親については諸説あって不明。

ビリーは身持ちのよくない母親と西部へと流れて行き、ニューメキシコで育ち、14歳の時、母親を侮辱した男を殺して家を飛び出す。以来、生涯に21人を殺害する。

ニューメキシコ準州

家出してからは、アリゾナ、テキサス、メキシコ国境で牛泥棒や強盗、殺人を重ね、いつしかビリー・ザ・キッドと異名をとるアウトローになっていた。


西部開拓史上最も凶悪なアウトローとされているビリーであるが、小柄で口達者で、意外にも誰に対しても愛想のよい態度を示したという。

ビリー・ザ・キッド5

18歳の時にビリーは、イギリスから移住しリンカーン郡で牧場を始めたジョン・H・タンストールという牧場主に拾われ、その人格に敬服して、その下でカウボーイとして働くようになる。

しかし、タンストールが牧場と同時に商店経営も手がけ、それが大成功を収めたため、既得権益を守ろうとする地元の商店経営者ローレンス・マーフィーやジェームス・ドランらに妬まれるようになった。

マーフィーやドランらは乱暴者を集めてタンストールの商売を妨害する。
対抗上、タンストールもカウボーイの数を増やし、緊迫した状況下、タンストールがドランの派遣した保安官によって殺されてしまう。

ビリー・ザ・キッド3

マーフィーやドラン達は、保安官や政治家と結託して、強力な犯罪組織を形成していた。

タンストールを殺されたビリー達は、マーフィー・ドラン派の保安官などを片っ端から殺し、派手な戦闘を繰り広げた。
これが「リンカーン郡戦争」と呼ばれる事件で、結果はビリー達が敗れたが、その後もビリーは一人で殺人、強盗を重ねてお尋ね者となる。

ビリー・ザ・キッド4

アリゾナ州知事ルー・ウォーレス将軍(小説「ベン・ハー」の作者)は、ビリーの旧友パット・ギャレットを保安官に起用して、ビリーを追跡させた。

ルー・ウォーレス将軍
   ルー・ウォーレス

1880年12月のクリスマスの日、さすがのビリーもついにパットに追いつめられ、逮捕される。
しかし、その23日後、ビリーは看守を射殺して脱獄してしまった。

パットは再びビリーを追い、1881年7月14日、ニューメキシコのフォート・サムナーに潜伏していたビリーは、パットに発見されて射殺され、わずかた21年の生涯を閉じた。

パット・ギャレット
   パット・ギャレット

ビリー・ザ・キッドは左利きだったという説があるが、これは残された写真が左右逆に焼かれていたためだという。また、写真からは160センチぐらいの身長だったことが推定されている。


ビリーの拳銃の腕前であるが、ある時、サムナー砦で暴れ者のカウボーイであるジョー・グランドに出会ったビリーは「拳銃を見せてくれ」とねだり、隙を見て一発目の弾丸を抜いておいた。
その後、ビリーとグランドは口論になり、後ろからグランドが拳銃の引き金を引くも、もちろん不発、その刹那、ビリーは振り向きざまに3発の弾丸をグランドに浴びせる。
そして、グランド死体を改めると、3発とも同じ所に命中していた。

ビリー・ザ・キッド

ビリーの墓石は度々洪水で押し流されたり、盗難に遭ったりの災禍を経た後、現在の元の墓所と思われる場所に安置し直されたが、その後も人気故に記念品として削られたりして持ち帰られてしまうため、現在は檻に囲われている。

墓ビリー・ザ・キッド

当然、ビリー・ザ・キッドを主人公にした映画作品は多い。

ハワード・ヒューズ監督「ならず者」(1943年、ジャック・ビューテル主演)

アーサー・ペン監督「左ききの拳銃」(1958年、ポール・ニューマン主演)

サム・ペキンパー監督「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」(1973年、クリス・クリストファースン主演)
左ききの拳銃
などなど。 



オレンジ
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ジョン・ウエズリー・ハーディン(西部屈指の無法者というよりサイコパス)

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西部のガンマンには常識外れの人物が多いが、ジョン・ウエズリー・ハーディンほどめちゃくちゃな人生を歩んだ男も珍しい。

一時的とは言え、教師を務めたこともある人間でありながら、生涯に40人以上をあの世に送ったという文字通り無法者のチャンピオンである。

そして、伝えられるところによれば、ほとんどの殺しは、さしたる理由もなく行われ、有名な例では、テキサス州アビリーンの町のホテルに泊まった時、隣室の男のいびきがうるさいというので、いきなり壁越しに2発の弾丸を撃ち込んで男を殺してしまった。

テキサス州アビリーン

そんなジョン・ウェズリー・ハーディンは、1853年5月26日、メソジスト派宣教師の次男としてテキサス州南東部に生まれる。

幼児期から気性が激しく、14歳の時にナイフで喧嘩して相手を刺した。

テキサス州ボナム(生まれ)

15歳の時には、元奴隷のメイジという男とレスリングの試合のことでもめ、馬の手綱を取って落馬させようとしたためピストルで撃ち、3日後、メイジは死亡する。

南北戦争後のテキサスは北軍の管理下にあり、黒人殺しは死刑になるというので、宣教師の父親はジョンを逃がしたが、なんとジョンは探しに来た北軍兵士の一隊を川辺で待ち伏せし、ショットガンと拳銃で3人を殺した。

ジョン・ウエズリー・ハーディン

その後、北軍の追求が弱まると、ジョンは学校の教師になったが、もちろんこれは続かなかず、次いでカウボーイになり、仕事の腕とカードの腕を磨き、カードの腕前はかなりのものだったらしい。

1869年12月、テキサス州トワシという町で、ジェームズ・ブラッドリーという男とカードゲームを行い大勝するも、ブラッドリーがいちゃもんをつけてきたので争いになり、「銃の早抜き」で決着をつけることになった。
結果は、ジョンの二挺拳銃が火を噴き、弾丸はブラッドリーの頭と胸に撃ち込まれ、当然、ブラッドリーは即死する。

駅馬車トランプ

それからもジョンは実に多くの人間を殺した。

1871年1月、殺人事件で捕まり、ウエイコの裁判所に護送される途中、役人を殺して逃亡。
カンザス州アビリーンへ向かうキャトル・ドライブに加わるが、途中、メキシコ人のドライブに遭遇すると、ちょっとしたトラブルから銃撃戦になり、メキシコ人6人が死亡、そのうち5人はジョンに撃たれた。

カンザス州

同年10月、ゴンザラス郡へ向かう途中、黒人警官隊3人に捕まるが、逆に3人を射殺する。

1874年5月、ブラウン郡の保安官に後ろから撃たれそうになりながら、振り向きざまに相手の眉間を撃ち抜く。

1878年、テキサスの保安官殺人で有罪判決を受け、15年間、刑務所で刑に服す。
ところが、なんとジョンはこの刑務所生活で法律を勉強する。
そして、1892年、出所するとジョンはテキサス州エルパソで弁護士として働いた。

テキサス州エルパソ

しかし、1895年8月19日、バーでダイスを投げているところを、ジョン・セルマンという男に背後から頭を撃ち抜かれて死亡する。
女を巡るトラブルの結果だったという。


西部開拓史屈指の無法者というより、サイコパスと呼んだ方がしっくりくるほどに殺人のハードルが低かったジョン・ウェズリー・ハーディンの登場する映画作品は、やはり、ないわけがない。


ラオール・ウォルシュ監督「決闘!1対3」(ロック・ハドソン出演、1952年)

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