中国史上、最も壮大でドラマチックな戦いといっても過言ではない項羽と劉邦の覇権争いは、当時の中国を治めていた「秦」という国の圧政を打倒することから始まった。

その狼煙となった「陳勝・呉広の乱」をザッと説明したいと思う。


戦国七雄
※ 始皇帝が統一する前の中国


紀元前210年に「秦(初の中国統一国家)」の始皇帝が死去すると、その末子である胡亥が兄の扶蘇を謀殺して始皇帝の後継者となる。


紀元前209年7月、陳勝と呉広は強制的に徴兵された農民900名と共に、辺境守備のために漁陽(現在の北京市密雲県)へと向う。

しかしその道中で大雨によって道が水没し、期日までに漁陽へとたどり着く事が不可能となる。


秦の法律ではいかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首であった。


期日までに着けないと判断した陳勝と呉広は、どうせ殺されるならと反乱を決意する。


陳勝と呉広は引率の役人を殺すと、陳勝が演説を行った。

「期日に間に合わない自分達は問答無用で斬首である。どうせ死ぬのならば名を残して死ぬべきだ。そもそも同じ人間である王侯将相に我々の命を奪う権利はないはずだ。」

これを聴いた一同は一斉に同意を示した。


こうして「陳勝・呉広の乱」は始まり、反乱は各地を攻略するたびに秦の圧政に苦しむ民衆を巻き込んで一気にその勢力を拡大させていく。

これは、いき過ぎた厳罰は抑止力と成り得ない事を後世に伝えた出来事でもある。


陳勝は「張楚」という王朝を打ち立て、王を名乗るようになる。


陳勝の快進撃の噂が広まると、それまで「秦」の圧政に耐えていた民衆は自分の土地の役人達を殺して陳勝に迎合していった。


しかし、破竹の勢いで打倒「秦」を目指す反乱も、強大な中国を統一した秦の底力の前に徐々に旗色が悪くなっていくと、内部分裂も目立つようになり、呉広も陳勝も部下の裏切りにあって殺される。



中国史上初の農民の反乱は、結果的にはわずか半年で鎮圧されたが秦に対する民衆の不満がハッキリと表現されたことの意義は大きかった。



その後、陳勝と連携するつもりであった楚の項梁が反秦の旗手を引き継ぎ、紆余曲折を得て、紀元前206年に秦は滅亡する。


しかし、その後も戦乱は終息せず、新たな中国の盟主を目指す「楚」の項羽と「漢」の劉邦が争い、「楚漢戦争」へと発展していく。

劉邦A


次回から、中国の覇権を握る劉邦を支えた人物達と最大のライバルとなった項羽を合わせた7人をそれぞれの生涯として案内します。



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・劉邦      (案内人・アーサー)

・項羽      (案内人・モルドレッド) 

蕭何      (案内人・ガウェイン)

曹参      (案内人・トリスタン)

樊カイ     (案内人・パーシヴァル)

・張良      (案内人・ガラハッド)

・韓信      (案内人・ランスロット)

・虞美人     (案内人・モルゴース)