703x999ペルディッカス


アレクサンドロス3世の父ピリッポス2世の治世で、マケドニアはギリシア世界の盟主となっていた。

しかし、ピリッポス2世が暗殺され、弱冠20歳のアレクサンドロス3世が若き王になると、その機に乗じてテーバイが反乱を起こした。


テーバイの攻撃は激しいもので、マケドニアは一時撤退を余儀なくされる状況となる。

そこで活躍したのがペルディッカスであった。


ペルディッカスはアレクサンドロス3世の命令を待たずに、防御の弱かった敵の防柵に攻撃をかけ、テーバイ市内への突入に成功し、これをキッカケにテーバイは陥落することになった。



ペルディッカスは有能かつ豪胆で、アレクサンドロス3世の信頼が特に厚い人物であった。

ペルディッカスの豪胆さを表す逸話として、ペルディッカスがライオンの巣になってる洞窟に入っていくと、驚いたライオンが仔を連れて出ていったというものがある。

ペルディッカスには猛獣ですら危険を感じるオーラが漂っていた。




マケドニア軍は、ペルシア帝国の支配地域であるアナトリア地方(現 トルコ領)に侵入し、「グラニコス川の戦い」をアレクサンドロス3世の鮮やかな活躍で勝利すると、勢いそのまま「イッソスの戦い」ではペルシア帝国の王ダレイオス3世自らが率いる軍勢を粉砕した。

グラニコス川の戦い

ペルシア帝国の中枢に侵攻したマケドニア軍は、次の目標をペルシアの支配地域であるエジプトに定め、エジプト征服後の紀元前331年には「ガウガメラの戦い」で3倍以上の圧倒的な戦力差をものともせず、アケメネス朝ペルシア帝国の滅亡は決定的となる。



ペルディッカスはこうしたペルシア侵攻後の主要な戦闘で重装歩兵部隊を指揮し続けた。
特に「ガウガメラの戦い」では瀕死の重傷を負うほどに勇猛果敢に奮戦した。

ガウガメラの戦い


マケドニア軍がインドを目指すことになると、ペルディッカスはヘファイスティオンと同様に、別働隊を率いてマケドニア軍本隊の進軍ルートにある拠点という拠点を武力制圧および降伏勧告をして支配下においていった。



アレクサンドロス3世にとって最後の主要な一戦となる「ヒュダスペス河畔の戦い」を経た紀元前325年、町に立て籠るマッロイ人への攻撃にマケドニア軍は苦戦する。

アレクサンドロス3世は軍勢を二手に分け、その片方の指揮をペルディッカスに任せた。
戦場におけるペルディッカスはNO.2として重用されていた。



しかし、ゲリラ戦に消耗したマケドニア軍は、インドを引き返すことになり、紀元前324年にスーサに帰還した。

アレクサンドロス3世の親友ヘファイスティオンが病死すると、ペルディッカスはヘファイスティオンの遺体を託されバビロンで葬儀を上げた。





そして、病気で倒れたアレクサンドロス3世は臨終の際に、王の証でもある印綬の指輪をペルディッカスに渡した。

アレクサンドロス3世7
  
アレクサンドロス3世

これにより、ペルディッカスはアレクサンドロス3世の後継者として主導権を握り、まだ生まれぬ王妃ロクサネの子(アレクサンドロス4世)の暫定的な後見人として、帝国の実質的なトップとなる。


アレクサンドロス大王の死後、当初はこのようにその一族を担ぐ動きがあったが、担がれた者や担がれる可能性のある者はことごとく殺され、徐々に後継者争いは純粋な勢力争いとなっていく。



その後、ペルディッカスはアレクサンドロス3世の異母兄弟アリダイオスを推すメレアグロスを殺害し、エウメネスと共にカッパトギアの王アリアラテス1世を倒し、自らの発言力と存在感を高めていった。



一方、東方遠征の際にマケドニア本国の留守を任されていた老臣アンティパトロスは、アレクサンドロス3世の死に乗じて反乱を起こしたアテナイ・アイトリア・テッサリアを鎮圧し、ギリシア世界での存在感を増していた。


ペルディッカス

ペルディッカスは自らの立場を安定させるため、アンティパトロスの娘ニカイアと婚約をする。


しかし、アレクサンドロス3世の妹クレオパトラ(念のために有名なクレオパトラではない)との縁談を、ペルディッカスに取り入ろうとするアレクサンドロス3世の母オリュンピアスが持ちかける。


ペルディッカスは、アンティパトロスの娘ニカイアとの婚約を破棄して、アレクサンドロス3世の妹クレオパトラと結婚しようとした。



激怒したアンティパトロスは、プトレマイオスやアンティゴノスといった有力諸将を味方につけ、ペルディッカスへの対立姿勢を明確にした。


ペルディッカスの側には、カッパトギア太守エウネメスなどが味方した。


そうした折に、ペルディッカスがバビロンからマケドニア本国へ移送中だったアレクサンドロス大王の遺体をプトレマイオスが奪い、そのままエジプトのアレクサンドリアに埋葬する(ただ、現在にいたるまで遺体は発見されていない)。


アレクサンドロス大王の遺体を埋葬するという行為は後継者をアピールする行為であり、埋葬された場所は神聖化する。

後継者を主張するペルディッカスにとって、プトレマイオスの行為は看過できるものではなかった。



ペルディッカスは局地戦の指揮をエウメネスに一任し、自らはプトレマイオスを討つべくエジプトへと向う。


しかし、ナイル川渡河に失敗すると、ペルディッカスの統率能力に不安を感じたセレウコスらの部下によって暗殺された。


それは、猛獣すら恐れる豪傑が、女が原因で失墜した瞬間でもあった。




ペルディッカスの死により、老臣アンティパトロスが帝国摂政としてトップに座り、バビロン太守であったアンティゴノスが全軍総司令官となり、ペルディッカスを殺したセレウコスはバビロン太守となった。


アレクサンドロス帝国の後継者争いは続いていく。